ーストーン宣教師と農村伝道神学校ー
農村伝道神学校の創設者、アルフレッド・ラッセル・ストーン宣教師を記念して建てられた校舎は新しくなりました。
カナダの農村生まれのストーン先生は1927年、日本への宣教の使命を受け来日し、1954年に洞爺丸の沈没により52歳で亡くなられるまで27年間宣教師として働きました。その生涯を振り返るとき、ストーン先生は最後まで農民であり続けたといえます。ストーン先生は農民として農村に生き、そこに働きの場を求めました。生活苦にあえぐ農民の魂と生活の向上を願い、農民と苦楽を共にし、一農民になり切ろうとしました。
土の中から出たような先生は土と共に生きる人を自分の分身のように接し愛したのです。
ストーン先生は文化も習慣も違う日本にあって、日本家屋を愛し、集会では囲炉裏を囲んで座り日本食を食べ、流暢な日本語で語り合ったといわれています。農民の集まりにもう一人、近所の農民が加わったような感じでした。
そこで、生活や農業や社会の変革のことなどが話し合われたと想像されます。ストーン先生は一人の人間を大切にし、一人にかかわり続けましたが、同時に個人を取り巻く社会の改善や変革を求めていました。ここに教会の使命を見出したのです。「社会的救済とは、個人の救済に適うよう社会状態を変ずる事を意味する。」ストーン先生の言葉です。
福音は社会から切り離された個人ではなく、一人の人間を大切にしつつ、その人の家族や経済も含めより良い社会を求めて教会が社会にかかわっていくことでした。
教会がこのような「社会的救済」を担うためには指導者の養成が急務でした。ここに農村伝道神学校のルーツがあります。